長崎・島原で江戸時代にタイムスリップ!?

九州の旅

2022年10月下旬

1日目:羽田空港長崎空港長崎市内観光

   (出島、中華街、オランダ坂、東山手十二番館、孔子廟、大浦天主堂、グラバー園)

2日目:長崎市内島原半島(島原城、武家屋敷、百名水・浜の川湧水、雲仙地獄、雲仙温泉)⇒稲佐山

3日目:長崎市内観光(原爆資料館、平和公園、浦上天主堂)⇒長崎空港羽田空港

出島跡地を見る
資料館もあり見応えがある
当時の建物が忠実に再現されている
昔の生活が垣間見られる
オランダ坂は風情がある
長崎孔子廟

羽田から離陸し東京は奇麗にみられたが、水平飛行中は雲が多く各エリアの町が見られなかったのは残念だった。長崎空港から長崎駅(長崎市内)まではバスで50分程で到着する。長崎駅へ直行便の他、各所を経由して長崎駅に行く便があり後者の方が10分程時間がかかる。長崎駅前は大規模工事中で商業施設ができるようだ。次に来るときは様変わりしていることだろう。滞在中天気に恵まれ、この日も暑かった。東京より2℃ほど温度が高い。 

長崎駅前道路から路面電車が2路線出ているので市内観光には移動しやすい。この旅、最初の観光地である出島を目指した。出島は寛永16年(1639年)ポルトガル人の来航が禁止されたのち、オランダ商館が平戸から移転した鎖国期における唯一のヨーロッパの貿易地であった。(中国とも付き合いがあった)今は違うが教科書でもおなじみの扇型の所だ。海外へ輸出された主なものは、江戸時代初期は銀、中期以降は銅や樟脳(しょうのう・カンフルあるいはカンファ―とも)、陶磁器や漆製品などだった。内部は当時の建物が復元され、資料館などになっている。思っていた以上に見応えがあり出島内にある「長崎内外俱楽部」というレストランでトルコライスのランチも食べたので、かなり時間を費やしてしまった。

「長崎内外倶楽部」で食べたトルコライス

中華街は思っていたほど規模は大きくなかったのと食事も済ませてしまっていたため(本当はここで食べる予定だったが出島で予定より遅くなった)少し見て唐人屋敷跡エリア経由でオランダ坂に向かった。趣があるオランダ坂を上ると東山手十二番館がある。洋館の建物でベランダから眺めが良い。カフェもあるので時間があれば利用したかった。長崎孔子廟は1893年(明治26年)に清朝政府と在日華僑が協力して建てたもので、日本で唯一の本格的中国様式の建物だった。確かに中国を思い出させる空間だ。歴史館も併設されているので意外と時間を要する。我々は時間が無くなっているので急ぎ足で見学し、グラバースカイロード(ケーブルカーみたいな乗り物)を利用して一気に大地の上に上がった。登りきると長崎の町が奇麗にみられる。祈念坂を下り世界遺産となった大浦天主堂に向かった。有名なところなので知っている人も多いと思う。ここは2つの歴史的な出来事と関りがある。1つは、1597年の日本二十六聖人の殉教である。別名は「日本二十六聖殉教者聖堂」とも言い、1862年に二十六人の殉教者立が聖人に列せられたのを受け捧げられた教会でもある。そのため、大浦天主堂は殉教の地であるに西坂に向けて建てられている。もう一つは、1865年の信徒発見である。この天主堂が1864年に建てられ、翌年2月から公開が始まったその約1か月後の3月17日に浦上の潜伏キリシタン達が信仰の告白をして名乗りを上げた所でもある。

どこの教会にに入ってもそうだが、心が落ち着く。時間が許す限りゆっくりさせていただきたいところだ。内部は1周することが出来る。外には大浦天主堂に関する資料館、国指定重要文化財である旧羅典神学校県指定有形文化財旧長崎大司教館もあり、ここも見応えがある場所だった。残念ながらグラバー園の閉館時間が気になりやはりゆっくり見学できなかった・・・。

グラバー園はこのすぐ隣に位置するエリアで、三棟の住宅の主人であった、トーマス・ブレイク・グラバー、フレデリック・リンガー、ウィリアム・ジョン・オルトの住宅や庭が残る。歩く歩道で一番高台にある旧三菱第2ドックハウスへ向かう。ここからは長崎港はじめ、市街が一望できる。あとは順路に従って(地図の案内)リンガー住宅やオルト住宅を見学する。一番下にあるのがグラバー住宅である。この頃になると日も暮れ夜景も奇麗にみられる時間となっていた。

長崎市内観光は「ながさき観光きっぷ」を利用するとよい。カルチャー、ベーシック、夜景の3種類があり団体料金(割引)で各施設に入場できる。また観光地のお得な割引特典施設もある。

ながさき観光きっぷ – PLAY NAGASAKI (nagasaki-visit.or.jp)

【公式】長崎観光/旅行ポータルサイト ながさき旅ネット (nagasaki-tabinet.com)

スカイロードを利用して台地の上へ
長崎は坂が多い
稲佐山が象徴的だ
祈念坂を下り大浦天主堂へ
世界遺産・大浦天主堂
マリア像がある
じっくり見るとかなり時間がかかる
大浦天主堂 天気に恵まれた
グラバー園への階段
一番高台にある旧三菱第2ドックハウス
長崎港を遠望する
このように眺めの良いところに住みたい
旧オルト住宅
今でも通用するデザインだ
旧リンガー住宅
夜景がきれいな時間となってきた
夜の趣はまた違う大浦天主堂のライトアップ

長崎駅近くでレンタカーを借りて出発。島原まではおおよそ1時間30分程で途中特産を売っている市場に寄ったりした。地方に行くと珍しいものや見たことがないものがあり面白い。最初は島原のシンボル&百名城でもある島原城を目指した。地域のイベント中で駐車場は近くの小学校運動場に停めた。驚いたのが堀が非常に立派だったことだ。当時は堅固な要塞だったことが想像される。この城は、松倉豊守重政が1618年(元和4年)から7年の歳月をかけて築いた城だ。天守閣は工事中で外見が見られなかったのが心残りだが、内部は資料館となっていて城や地域の歴史がわかり興味深い。周りにある櫓も内部を見学することが出来る。この足で武家屋敷にも足を延ばした。数百メートルの限られたエリアに石垣が残り、当時の武士たちの住まい(篠塚邸山本邸島田邸)が再現されている。中心には湧水が引かれ水路となり生活用水として使われていた。武家屋敷は鉄砲町とも言わた。その由来は城の外郭の西に接して扶持取70石以下の武士たちの住まいで戦いのときには鉄砲を主力とする徒歩(歩兵)部隊の住居であったのでそう呼ばれるようになった。やはり資料館もあったが時間がなく、訪問しなかった。近くにある「菜かの」で島原名物 具雑煮を食した。街の中心部には鯉の泳ぐ街と言われ張り巡らされた水路に湧水が流れ鯉が泳いでいるようだが、時間の関係で見られず、かわりに日本百名水でもある「浜の川湧水」に立ち寄った。ここにはカフェもありこの湧水を利用しているのだろう。名水を見ながらカフェタイムも悪くない。

他にも世界遺産となった原城ジオパークがまだすドーム(雲仙岳災害記念館)などにも行きたかったが諦め、島原市内から雲仙温泉に向かった。雲仙岳もハイキングしたかったが、とてもそんな時間がなかったので雲仙温泉街にある雲仙地獄を散策したり雲仙ビードロ美術館に寄った。美術館ではガラスつくり体験もできる。各地のガラス製品が販売されているが、品数は思っていたほど多くなかった。温全は是非入浴したいと思っていたので、観光案内所で教えてもらった小地獄温泉館を利用した。乳白色で硫黄の匂いがよく、まさに温泉という感じでいい風呂だった。露天はないが趣があり値段も460円と良心的だ。(東京は高い!)

帰り途中、一部で渋滞にはまったこともあり時間を要したが、車を借りている本日中に稲佐山の夜景を見に行きたかったので急いだ。理由ははっきりわからないが頂上部に駐車できないとのことで、稲佐山山地駐車場に車を置き、徒歩で頂上に向かった。かなり急ぎ足で登り20分くらいだったがスロープカーと同じくらいの速さで上り長崎市内の夜景を見ることが出来た(スロープカー次発を待っている時間がなかったため)世界三大夜景と言われているようで、奇麗ではあったが、正直言えばそこまでなのかなあという印象は残った・・・。一応妻と記念撮影をしてせっせと来た道を引き返し、車に飛び乗りレンタカー屋を目指した。何とか営業終了までに返却できたので良かった。その後のんびり夕飯を食べようかと店を探したが、時間が遅いため入られる店が限られてしまった。我々は長崎駅直結のアミュプラザのレストラン街で夕食を食べた。

島原城 | 公式ホームページ (shimabarajou.com)

小地獄温泉館|https://www.seiunso.jp/kojigoku/

稲佐山公園WEB (inasayama.com)

島原城の堀
城内部の資料館も面白かった
武家屋敷
武士の生活が垣間見られた
維持するのも大変なことと思う
ランチで具雑煮を食べた 
日本百名水でもある「浜の川湧水」
雲仙地獄をみる
箱根を思わせる場所だ
硫黄の匂いがいいい
稲佐山山頂
稲佐山展望台より 長崎駅方面
近くにこのような場所があるといいね
長崎駅一帯
老若男女で混雑していた

3日目:長崎市内観光(原爆資料館、平和公園、浦上天主堂)⇒長崎空港羽田空港

旅は早いものでもう最終日だ。最後まで天気に恵まれたのは幸いだった。ここは外せないと最終目的地の長崎原爆資料館に向かった。1945年8月9日、午前11時2分長崎の上空500mで一発の原子爆弾が炸裂した。1945年の長崎市人口は24万人、原子爆弾による被害者数(1945年12月末までの推定)は死者73,884名、負傷者74,099人を数えた。資料館では原爆の模型ファットマンをはじめ、被害にあったものや遺品が多数展示されている。また戦争の歴史や核兵器の時代についての資料も紹介されている。人類は過ちを繰り返してきた。現在においてもウクライナ問題をはじめ、我々が生活する日本周辺でも物騒な状況が続いておりいつエスカレートするかわからない状況である。過去に何が起きたのかいまいちを学びなおす必要があると思う。資料館を出て、平和公園では透き通るような青空が広がっていたが、77年前何が起きたのか考えてみてもとても想像が出来ないほどのことが起こったのだ。この土地の下にはまだそのがれきが埋まっている。

長崎原爆資料館・長崎市平和会館 – 長崎市への原子爆弾投下に関する資料を取り扱った長崎市立の資料館 (nabmuseum.jp)

長崎市│願いのゾーン (nagasaki.lg.jp)

次回は長崎駅も大きく変化していることだろう
稲佐山
平和公園
透き通るような青空が広がっていた
浦上天主堂
こちらはそれほど人はいなかった
機内より名古屋の夜景

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